日本のコーヒーのはじまり

昔の街並み
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世界のコーヒー飲用の歴史については、別記事にて詳しくまとめてきましたが、日本においてはどのような流れで現在まで続いてきたのでしょうか。

今回は日本の、さらに黎明期のコーヒー文化の流れをまとめていきたいと思います。 

 

日本のコーヒー文化は江戸時代から

日本のコーヒーの歴史をさかのぼると、江戸時代ということが通説となっています。江戸文化の唯一の交易地であった、長崎を通して貿易品として輸入されていたようですが、嗜好品と言うよりも薬としての効果を期待されたのが主だったようです。

 

特に水腫への効果が期待されていたようです。これはコーヒーに含まれるビタミンの効用ではないかといわれています。1807年の樺太探査では野菜が摂取できないことによる兵の水腫病が深刻な問題であったようで、幕府から当時大変貴重とされたコーヒー豆が支給されたといいます。

 

1855年頃、やはり寒さなどで殉難が多かった弘前藩士の為に幕府が薬用としてコーヒーを用意したという記録も残っているようです。当時のコーヒーは基本的に煮出して上澄みを飲む方法であったようで、記録には苦く不味い、といった内容がつづられています。

 

日本では漢字で「珈琲」のほか「可否」「架非」「加非」「咖啡」などの字も当てられてきました。ちなみに、中国が日本の漢字の当て字を真似たという説が近年までの長年の通説であったようですが、これは誤りであったことを2021年、日本の研究者によって明らかにされました。

 

明治~大正のカフェー

1888年4月13日に、東京下谷に鄭永慶(元外務省官吏)が最初の喫茶店「可否茶館」を開店します。それを皮切りに、大正時代にはいると、「カフェー」と呼ばれる喫茶店が全国的に普及しました。ちなみに、1889年には東京の氷砂糖問屋が「珈琲挽茶入角砂糖」を売り出し、湯または牛乳に溶かして飲ませたという話もあるようです。

 

純粋にコーヒーを提供することを目的とした店を「純喫茶」とよぶことからもわかるように、大正時代になると、そもそもはヨーロッパのカフェを模したインテリ層向けの社交の場であった「カフェー」から、現在のクラブやラウンジといった様相を呈した形態へ大きく変容していきます。女給を置きはじめたことがきっかけで、無給制の女給は客からのチップを給料としていたために、サービスの過激化が進んでいったといわれています。

 

昭和から第二次世界大戦までのコーヒー

昭和にはいると、先ほど述べた風俗産業的な「カフェー」に対する規制が厳しくなり、女給の接客を伴うものを「特殊喫茶」とし、接客を伴わないものを「純喫茶」というように区別するようになります。

 

特殊喫茶も大変な盛況ぶりだったそうですが、純喫茶の方も、昭和にはいると、先の大戦までは全国的に大変な盛り上がりだったようです。特に、物資も文化も多様な東京は、銀座を中心に腕自慢のコーヒー屋が軒を連ねていたといいます。

 

最近までご活躍され、日本のコーヒー業界の生き字引として、亡くなるまでの80年近く、この国のコーヒー文化の発展に寄与され続けていた「カフェ・ド・ランブル」の関口一郎さんによると、その当時、つまり戦前の喫茶店はコーヒーの淹れ方は絶対に見せてくれなかったそうです。皆が秘伝の技としてコーヒーを扱うほど、その魅惑の味、香りは人々を魅了し、人気を博していたようです。

 

ネルドリップの始祖

そんな秘伝のコーヒーの抽出を、関口さんがはじめて見たと証言しているのが昭和10~12年頃にかけて、銀座白木屋デパートの7階、欄の間において毎週土曜の午後に開催されていた「三浦義武のコーヒーを樂しむ會」だったといいます。

 

会費は当時の1円(現在の2,000円くらい)でサンドウィッチとコーヒーが飲み放題でした。そこではじめて、ネルドリップをみたというのです。当然まだペーパードリップなどない時代です。この時見たネルドリップを基に、その後日本一有名な純喫茶、「カフェ・ド・ランブル」が誕生したということは非常に興味深いですね。

 

この白木屋デパートの会のオーガナイザーであった三浦義武とは、どのような人物だったのでしょうか。この方につきましてはまた別の記事でしっかりと深堀りしますのでそちらを是非ご覧ください。

 

さて、この時のネルドリップについて簡単に触れておきます。三浦自身の説明を意訳しますと、コーヒー濾しは綿ネルを毛の方を外側にして漏斗型に縫って針金で縁をとり、昆虫採集網のような形につくるのがよろしく、新しい布はよく洗い、使用後は空気に触れないように水に浸けておくのがいいでしょう、といった内容になっています。

 

今現在もネルドリップの基本となっている使用、用法はすべて三浦の研究によるものだったのですね。100年続く、耐久性のある概論を当時すでに確立されていたということなど、彼の研究には驚かされっぱなしです。

 

まとめ 

江戸から戦前までの、日本コーヒー文化の黎明期について、ざっくりとまとめてみましたがいかがだったでしょうか。今記事では、現在、日本をはじめ、世界中で盛んに行われているペーパードリップへの礎となったネルドリップのはじまりまでをまとめてみました。

お侍さんが飲んでいたコーヒーや、文明開化のコーヒー、大正デモクラシーの盛り上げに一役かったコーヒーなど、想像するとワクワクしてきますよね。

BON COFFEE’s Master

BON COFFEE’s Master

静岡大学卒業後、2009年に地元福井駅前にて「BONCOFFEE」を、2015年に豆販売に主軸をおいた2号店「BONCOFFEE -BEANS STORE-」を開業。2020年、福井駅前再開発事業にともないビーンズ店を板垣に移転し現在に至る。モットーは「1杯のコーヒーのチカラで世界を少しまったりさせる」。作り続けたいコーヒーは、子供からお年寄りまで誰もが気軽に楽しめるコーヒー。コーヒーが飲めなかった人がBONCOFFEEのコーヒーなら飲めた、ブラックで飲めなかった人が飲めるようになったとの声多数。

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