世界ではじめて缶コーヒーを作った男

缶コーヒー
  • share : 
  • instagram最新情報をお届けします。
  • facebook
  • LINE official account お問い合わせ・ご注文にも便利です。

缶コーヒーを誰が最初に作ったのかというのは、大阪の外山食品が昭和33年に発売を開始した「ダイヤモンドコーヒー」だというのが通説でした。

しかし、近年の調査研究によって島根県浜田市出身の三浦義武がその最初の人であることがはっきりしました。

今回は日本のコーヒー文化を考えるうえで、最重要人物である「三浦義武」にフォーカスしていきます。

 

ネルドリップの魁

三浦義武というと、他の記事でも登場した、通称「ネルドリップの魁」ネルドリップのルネッサンスの中心人物です。三浦は、「コーヒーを楽しむ会」というのを昭和10~12年頃にかけて銀座白木屋デパートの7階で主催した人物。「コーヒーを楽しむ会」の後援者には当時の錚々たる顔ぶれが名を連ねていました。例えば、画家の東郷青児や藤田嗣治、音楽家の山田耕作、小説家の菊池寛などなど、現在でもひろく知られている大物ばかりです。

 

カフェ・ラール

そんな大物を虜にした三浦のコーヒーですが、一番の評判だったのは「カフェ・ラール」とよばれる幻のコーヒーです。幻といったのは、そのレシピを最後まで、誰一人にも種明かしをしなかったからです。現在に至るまで、多くのコーヒーマニアたちがその実態を調査しましたが真相はわかっていません。

 

小説家の小島政二郎が「食いしん坊」という随筆に書いたところによると、「殊に、白木屋で飲ませてくれたラールと云うコーヒーの旨さと云ったら、類がなかった。夏だったので、ブラックのまま冷やしてあったが、香が消えずにいて、濃くって、コーヒーの持っている旨い要素が全部出ていた。私と片岡(筆者註、片岡鉄平、大正、昭和期の小説家。)とはグラスに二杯飲んだが、いいブランデーにでも酔ったように酔った。コーヒーに酔ったなんて、あとにも先にもこの時きりだ。」と大絶賛しています。

 

一体どのようなコーヒーだったのでしょうか。妄想が止まりません。「ラールばかりはネルの袋では作れません。これだけは特殊の器械を使います。」と語ったと小島は述べています。器械とは何だったのか。

 

福岡の伝説的な純喫茶「珈琲美美」の亡くなった森光宗男氏の考察によると、花のエッセンスを抽出したり、薩摩のイモ焼酎を蒸留するのに用いられる「ランビキ」の類のものを使ったのではないかという説もあります。ロマンあふれるミステリーですよね。

 

世界初の缶コーヒー

缶コーヒーの試作は最初に書いたように、ダイヤモンドコーヒーや明治製菓などと、ほぼ同じタイミングで始められていたようです。ですが、この当時の缶は鋼板にスズをメッキしたもので、メッキ技術のムラからピンホール(穴)が生じることが多かったようです。そのピンホールにコーヒーが入り込むことで腐食が起き数日経つと沈殿物が発生。商品化には至りませんでした。

 

そこで三浦は、当時最新式の電気メッキ法という技術をもっていた福岡の東洋製罐に協力を仰ぎ、もちまえの情熱をもって口説き落とした結果、腐食しにくく、ピンホールの開かないスチール缶の開発にこぎつけます。

 

さらに三浦は、販売するにあたって欠かせない殺菌処理でも工夫を凝らします。現在でも主流の高温殺菌法では、肝心の風味が著しく損なわれてしまうので、低温殺菌によるクオリティの維持を実現します(余談ですが今現在でも高温殺菌法がほとんどです。1本1,000円前後するような小規模自家焙煎コーヒー屋が作るアイスコーヒーのリキッドタイプが、あまり美味しいコーヒーにならないのは、ここにも大きな原因があります)。

 

こうした数々の工夫を凝らし完成した三浦の缶コーヒーは、2年たっても濁りもなく味もほとんど変わっていなかったといいます。製作者の「三浦」と「奇跡・ミラクル」をかけて商品名を「ミラコーヒー」としました。

 

販売に際して関係者に送られた案内状には、あの司馬遼太郎の推薦文も載せられました(三浦の息子浩は、新聞社時代の司馬の元部下でした)。推薦文は次の通り。

 

「三浦義武氏は、すでに昭和十年代にコーヒー通として巨名を得ている。その後、この不思議な味覚の世界に憑かれ、歳月と精力をその研究ひとすじにそそいだ。その研究歴の長さ、味覚の精妙さ、味覚の化学的把握のふかさという点で、どの国にもこれほどの人物はあるまい。われわれは、絵画において富岡鉄斎、陶芸において柿右衛門を誇るがごとく、コーヒーにおいてかれを世界に誇っていいだろう。」

 

司馬をしてここまで言わしめた三浦義武。いま生きていたら聞きたいことが山ほどあります。

 

ミラコーヒーのその後

好評を博したミラコーヒーでしたが、経営という点では職人感覚の三浦は純粋過ぎたといえそうです。生豆の仕入れは現金で、作った缶コーヒーは売掛。回収は数か月から半年後というやり方だったため次第に資金繰りが悪化していきます。ミラコーヒーの卸先だった業者同士で裁判になったりなど、ごたごたが続いたことと、ブラジルのコーヒー豆の価格高騰が重なり、たった3年で事業を閉じてしまいました。このとき三浦は67歳になっていました。

 

その後の小話ですが、世界初の腐食しない缶コーヒー「ミラコーヒー」の生豆仕入れを支えてきた上島珈琲(UCC)が、三浦廃業の翌年「コーヒーオリジナル」というコーヒー牛乳のような缶コーヒーを発売し大好評、大阪万博も相まって大ヒットしたそうです。そこから今に続く缶コーヒーのムーブメントがスタートしていきました。

三浦の心中はいかようだったでしょう。

 

まとめ

コーヒーに取り憑かれた男、三浦義武。その飽くなき探求心と情熱には敬服するかぎりです。また、残された三浦のコーヒー解説を読むと、現在の認識とほとんど変わらないレベルの知見が盛り込まれており、そのあたりも驚かされるばかりです。

島根県の浜田市には、三浦の仕事を受け継ごうと、さまざまな取り組みがなされていますので、興味を持った方は是非一度チェックしてみてくださいね。

BON COFFEE’s Master

BON COFFEE’s Master

静岡大学卒業後、2009年に地元福井駅前にて「BONCOFFEE」を、2015年に豆販売に主軸をおいた2号店「BONCOFFEE -BEANS STORE-」を開業。2020年、福井駅前再開発事業にともないビーンズ店を板垣に移転し現在に至る。モットーは「1杯のコーヒーのチカラで世界を少しまったりさせる」。作り続けたいコーヒーは、子供からお年寄りまで誰もが気軽に楽しめるコーヒー。コーヒーが飲めなかった人がBONCOFFEEのコーヒーなら飲めた、ブラックで飲めなかった人が飲めるようになったとの声多数。

コメント投稿フォーム

メールアドレスが公開されることはありません。

お問い合わせはこちら

CONTACT

ネットショップはこちら

ONLINE STORE